大人のおもちゃ箱
真田家臣の赤沢“I Can Fly”嘉兵衛は、武田崩れ直後に度胸試しで断崖から飛び降り生還したが、真田昌幸に
「大事の時に、命を粗末にするヤツは要らん」と勘当され、第一次上田合戦で首二つを上げ、やっと許された。
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月日は流れ、無謀な若者に過ぎなかった男は二十余の首を上げ、歴戦の勇士として知られるようになり、
嫁を迎え、息子が生まれ、息子も出仕するようになったある日、その息子・助左衛門が「改めて話がある」
と言ってやって来た。

「父上、私もいよいよ嫁を迎えることになりました。」
「おお、そうか!それはめでたい。して、お前の嫁になってくれるのは、どこの娘さんじゃな?」
「はい、右京どのの姪御にございます。」
「なんだと?!」

右京、すなわち右京局とは小松殿の死後、真田信之の奥向きの世話をしている女性、平たくいえば愛人である。
(幕府をはばかってか小松が忘れられなかったのか、側室にはしていない)要は助左衛門、コネで妻を選んだのだ。

「たわけがっ!それでは加増されても『女房のおかげで立身した』などと言われるわ!お前はそれで良かろうが、
子孫まで面が汚れるわい。侍とは大身も小身もなく、ただ志の良き悪しきをもって評価されるものぞ!

よかろう、わしが槍一本で稼ぎし百六十石、お前のような者には過ぎたる知行よ。これ以上増やすまい。」

それからというもの、嘉兵衛の勤めはサボりがちになり、ときに目を見張る働きを遂げ、少しでも信之から
褒められようものなら、とたんに翌日から病と称して出仕しなくなる有様だった。

嘉兵衛の死後、奉行職まで出世した助左衛門に信之は
「わしは嘉兵衛ほどの男、もっと加増してやりたかったが、あやつめ、見事な奉公ぶりを見せたかと思えば
引っ込んでしまう。加増するスキが無かったわい・・・」と、漏らしたという。

意地と誇りを貫いて知行百六十石で生涯を終えた赤沢嘉兵衛だが、その態度は「真田武士の鑑よ」と称えられ、
その人物像は『真田家御事跡稿』に記され、顕彰されている。